2012年4月25日水曜日

子午線標(当別丸山)

・【子午線標點之記】<・路順「茂辺地役場より、凡そ北西の戸田川に沿いて八粁進むと案内人吉川勝夫氏宅あり。これより北に登り一粁ばかり子午線標に至る。 ・備考「茂別村市之渡山」 ・ 路順図は、「スケッチ高線図」があってその図に「至戸田、吉川勝夫氏宅、戸田川、至茂辺地」の記述がある。スタンプ印(国土地理院;この写しは原本と相違ないことを証明する 発行21.4.7)>たかやなぎ@日高三股氏提供。⇒つくばの「地図と測量の科学館」からの謄本交付

・探索時の子午線標測定結果(GPS受信機)
sakag氏(N41度48分00秒.4、E140度33分00秒.7)⇒高感度受信チップ搭載
Tao⊡⊡(N41度48分00秒.6、E140度33分00秒.7、標高142m)⇒GARNIN eTrex Venture 2001年製

・当別丸山三角点の経緯度( 北緯41°44′43″.3723、東経140°33′00″.4188) <三角点の東側に天測点が設置されていた。子午線標測定結果と三角点の東経に矛盾はない>

2009.4.7茂刈山へ同行のtakayanagi氏は「子午線標探索は時間切れだった」と話してくれて、彼から【子午線標點之記】謄本を手にすることになったが、その分彼からの宿題にもなった。しかし藪を恐れて今に至るまでその探索を試みることはなかった。その道の全国の標石愛好家が探索に失敗している標石だから、ジモティも慎重にならざるを得なかったこともあった。
.
・当別丸山を通る子午線上に標石は確かにあるから、樹冠が邪魔にならない高感度チップが入ったGPS受信機があれば何とかなるであろうと考えていた。今冬の(降雪深の合計465cmは函館海洋気象台観測史上第二位・最深積雪91cmは同第一位)で残雪歩行には好条件。藪も残雪の下におさまっているであろう。
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.・【探索設計】
.・国有林境界管理歩道を御料局の図根点まで進む
.
.・御料局の図根点から西北西方向に伸びる尾根を進む
.
.・尾根上の子午線E140度33分01秒をスタート地点とする
.
.・当別丸山の山頂を遠望しながら南下する
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.・子午線E140度33分01秒ラインを左右30m幅で探索する
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.・探索ラインの終点は送電線までとする
.....................................................




・春山遠征から帰函間もない超多忙のSakag氏をお誘いした。二つ返事でOKしてくれた。彼は高感度のGPS受信機を携行している。朝は濃霧だったが空は高くはれ上がり、穏やかな日よりになった。送電線直下に駐車して、落ちたら下まで転がる急斜面(国有林境界の防火帯)を四つん這いになって登った。愛好家たちが探索し残した領域を目指した。土塁まで築いた御料林管理の防火帯に感心しながら、当別丸山を通る子午線に至って作戦タイム。まずは愛好家らが探索しなかったであろう「図根点」の先から子午線にのって探索を始める。
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・図根点から万太郎沢の向こうに上磯セメント工場の煙突が見えた。防火帯が走る尾根をトドマツ林の中の子午線まで進むが、どうもそれらしい場所とは思われない。しかし、子午線にしたがって丁寧に南下を始めた。可能性のある限り幅を広く取って探索した。トドマツ植林地~防火帯~雑木林~スギ植林地~送電線へと進むことにした。なるほど丈の高いクマイザサ、マタタビが茂る、積雪期でなければ凄い藪でかなり難儀であろうと思われた。雑木林ではマタタビが絡まる盛り上りを覗き、スギ植林地ではスギ下枝に隠れる雪の下を覗き見しながら、Sakag氏は子午線に沿って、私は彼の東側30mを平行に丁寧に探し送電線に向かって進んだ。
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・送電線が目に入ってきた。もう探索は終わりだ。混み合ったスギ植林地は日陰で積雪140cmの深さだった。この深さなら見逃しもあるな~と弱気になった。混み合ったスギ林を抜け出た。Sakag氏から「あったぞ~子午線標があった~」と声が上がった。「やった~」と応答したが、瞬間私は雪穴に足を取られてしまった。しばしハマッた足が雪穴から抜け出ない。Sakag氏とうれしさをただちに共感できない。この焦りは何。探索成功の瞬間は不思議な感情であった。
.
・探索ルートの「最終場面」で発見できた。愛好家らは文献等に引っ張られて探索に失敗したものと思われる。私たちも、既知情報から未探索領域を丁寧に探すことになって時間を弄した。探索終点付近になって、まさに最後の瞬間にやっと見つけることができた。このたびの教訓は「前例に惑うなかれ」・・・であった。
      
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追記:
「子午線標の記」に書かれている地形は如何に?
 スケッチ等高線の地形はフム?フム?だ。標石探索成功後に同図を見ると、なるほどなるほどそうだったかと思うところもあった。
 ・当時の測量官のスケッチによる等高線の描画の仕方が、まるでだまし絵(?)のようでもあり、可笑しくて笑ってしまった。
 ・真実を見つけるスケッチ等高線の読み方= 1 取り付きは、明確な凹形の沢から入っている 2 これより北に登り一粁ばかり子午線標に至る}の記述から、当別丸山を遠望できる場所を現地形図から、標石を知ってからであるけれど想定できた。 
Sakagu氏のブログへ

子午線標(当別丸山)

・【子午線標點之記】<・路順「茂辺地役場より、凡そ北西の戸田川に沿いて八粁進むと案内人吉川勝夫氏宅あり。これより北に登り一粁ばかり子午線標に至る。 ・備考「茂別村市之渡山」 ・ 路順図は、「スケッチ高線図」があってその図に「至戸田、吉川勝夫氏宅、戸田川、至茂辺地」の記述がある。スタンプ印(国土地理院;この写しは原本と相違ないことを証明する 発行21.4.7)>たかやなぎ@日高三股氏提供。⇒つくばの「地図と測量の科学館」からの謄本交付

・探索時の子午線標測定結果(GPS受信機)
sakag氏(N41度48分00秒.4、E140度33分00秒.7)⇒高感度受信チップ搭載
Tao⊡⊡(N41度48分00秒.6、E140度33分00秒.7、標高142m)⇒GARNIN eTrex Venture 2001年製

・当別丸山三角点の経緯度( 北緯41°44′43″.3723、東経140°33′00″.4188) <三角点の東側に天測点が設置されていた。子午線標測定結果と三角点の東経に矛盾はない>

2009.4.7茂刈山へ同行のtakayanagi氏は「子午線標探索は時間切れだった」と話してくれて、彼から【子午線標點之記】謄本を手にすることになったが、その分彼からの宿題にもなった。しかし藪を恐れて今に至るまでその探索を試みることはなかった。その道の全国の標石愛好家が探索に失敗している標石だから、ジモティも慎重にならざるを得なかったこともあった。
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・当別丸山を通る子午線上に標石は確かにあるから、樹冠が邪魔にならない高感度チップが入ったGPS受信機があれば何とかなるであろうと考えていた。今冬の(降雪深の合計465cmは函館海洋気象台観測史上第二位・最深積雪91cmは同第一位)で残雪歩行には好条件。藪も残雪の下におさまっているであろう。
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.・【探索設計】
.・国有林境界管理歩道を御料局の図根点まで進む
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.・御料局の図根点から西北西方向に伸びる尾根を進む
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.・尾根上の子午線E140度33分01秒をスタート地点とする
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.・当別丸山の山頂を遠望しながら南下する

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.・子午線E140度33分01秒ラインを左右30m幅で探索する
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.・探索ラインの終点は送電線までとする
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・春山遠征から帰函間もない超多忙のSakag氏をお誘いした。二つ返事でOKしてくれた。彼は高感度のGPS受信機を携行している。朝は濃霧だったが空は高くはれ上がり、穏やかな日よりになった。送電線直下に駐車して、落ちたら下まで転がる急斜面(国有林境界の防火帯)を四つん這いになって登った。愛好家たちが探索し残した領域を目指した。土塁まで築いた御料林管理の防火帯に感心しながら、当別丸山を通る子午線に至って作戦タイム。まずは愛好家らが探索しなかったであろう「図根点」の先から子午線にのって探索を始める。
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・図根点から万太郎沢の向こうに上磯セメント工場の煙突が見えた。防火帯が走る尾根をトドマツ林の中の子午線まで進むが、どうもそれらしい場所とは思われない。しかし、子午線にしたがって丁寧に南下を始めた。可能性のある限り幅を広く取って探索した。トドマツ植林地~防火帯~雑木林~スギ植林地~送電線へと進むことにした。なるほど丈の高いクマイザサ、マタタビが茂る、積雪期でなければ凄い藪でかなり難儀であろうと思われた。雑木林ではマタタビが絡まる盛り上りを覗き、スギ植林地ではスギ下枝に隠れる雪の下を覗き見しながら、Sakag氏は子午線に沿って、私は彼の東側30mを平行に丁寧に探し送電線に向かって進んだ。
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・送電線が目に入ってきた。もう探索は終わりだ。混み合ったスギ植林地は日陰で積雪140cmの深さだった。この深さなら見逃しもあるな~と弱気になった。混み合ったスギ林を抜け出た。Sakag氏から「あったぞ~子午線標があった~」と声が上がった。「やった~」と応答したが、瞬間私は雪穴に足を取られてしまった。しばしハマッた足が雪穴から抜け出ない。Sakag氏とうれしさをただちに共感できない。この焦りは何。探索成功の瞬間は不思議な感情であった。
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・探索ルートの「最終場面」で発見できた。愛好家らは文献等に引っ張られて探索に失敗したものと思われる。私たちも、既知情報から未探索領域を丁寧に探すことになって時間を弄した。探索終点付近になって、まさに最後の瞬間にやっと見つけることができた。このたびの教訓は「前例に惑うなかれ」・・・であった。
      

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2012年4月21日土曜日

廃屋:伊勢鉢山

 今寒候期は雪がたくさん降りました<降雪深の合計465cm観測史上第二位・最深積雪91cmは同第一位>. おまけに遅くまで寒さが続いたからだろうか.近郊の連山は今日も春の光にまぶしく輝いていました.肋骨骨折後の身体ならしの第二弾は、鏡山に続いて伊勢鉢山でした. ラジオから「全道的に好天だから家の周りの片付けに良い日和です」と気象予報士の声が聞こえてきましたが、振り切るようにして 知人を誘って山に向かいました.

 昨年sakag氏と地辷り跡地を廻った時にここ伊勢鉢山を踏んでいます. 踏切を渡って釜谷駅裏に回り山側に向かって酪農家の趣ある廃屋前に駐車(後で思わぬ出会いが).せせらぎの小川に架かる橋を渡って、御宮野牧場内に新設された農道を進みました. 風格ある廃屋や赤松の防風林に囲まれた御宮野牧場は穏やかでいい雰囲気の風景でした.北海道殖産(旧前田家所有山林)が管理のスギ林に入ると、幅3mばかりの防火帯が伊勢鉢山へ向かっていました.カタクリの花芽が並んでいたりヤブサメの囀り(虫の音に近い音域)を耳にしたり、残雪終わりの森がいろいろ語りかけてきます.


 牧場そしてスギ林に3級・4級公共基準点の表示板がたくさん設置されていました.国土交通省北海道開発局函館建設部の設置したもので函館江差高規格道路関連の公共基準点のようです。これより山側2kmほどの山側に、同種の表示板を昨冬の地辷り廻り時に遭遇しました.こちらは(独)鉄建公団・運輸施設整備支援機構鉄道建設本部北海道新幹線建設局でした.高速道路や新幹線で、この付近の人里に近い山林一帯は大きく変わっていくのでしょう.


 残雪を踏むことはあっても持参したワカンやスノーシューを出すことはありません.明るいアカシデも混じるミズナラ主の雑木林.標高を上げるにしたがいブナの密度が高くなり、ブナの二次林に移り変わりました.函館にソメイヨシノの開花日が来れば、7日後にここはブナの新緑の時.いわゆるブナ美人の季節です.新潟県松之山町のブナ美人に劣らない風景をここでは楽しめることでしょう.林床はイワナシ、アクシバ、ヤマツツジの密度も高くなってくるころほどなく山頂に至りました.頂では同行と木地挽山、駒ケ岳、七飯岳、咸臨丸の眠る木古内町サラキ岬を指呼しあいました.

 駐車した場所にある数棟の廃屋はみな現住人の宅敷地内でした.銀髪のご婦人が屋敷から出てきて「どなたの車かと朝から不審に思っていました」と話してきました.今盛りのクロッカス・芽出し始めのスイセン・囀るキビタキの庭で、事情あって酪農は廃業したが、今後どんな農業をすべきか思案中で、TPPの影響もあるから心配・・とも話してくれた.趣ある廃屋!程度で、深く見てとれなかったことが恥ずかしい思いで話を聞いていました. 








 






2012年4月15日日曜日

鏡山(330.3m)<北斗市>

3月5日に肋骨を3本折ってから6週間経って、怪我後今日が初めての山歩きです.3月にSakagさんが記録を残してくれていた鏡山は、かねて身体慣ならしにいい山だと考えていました.函館戦争にいわれのある場所でもあるので、一度は頂を踏みたいとも思っていました.知人を誘ってその鏡山へ行ってきました.

市の渡沢(北斗市茂辺地)に架かる橋のたもとが登山口です.頂上直下まで続いている林道を辿ればいい.ほとんど幅の広い尾根上の林道になっています。深い谷間を眼下に、古い段丘と見紛う地形の上を歩くのは、とて明るく開放的で気分もいいものでした.

つわもの共の頂の砦.古戦場の鏡山はそれと首肯できる見晴らしだろうと、津軽海峡~函館平野の大展望を期待して出かけました.しかし残念な春霞.期待したすっきりした見通しには恵まれず、うす雲のかかった桂岳、不二山、袴腰山、横津連峰などを確認できる程度に終わりました.その分静かな広い山頂は無風の心地よさはありました.

手入れの行き届いたスギ、カラマツ、トドマツの植林地、幼齢の雑木林、山頂のアキグミの大株、エゾライチョウの「ため糞」、ウグイスの初鳴き、クマゲラの鳴き、バッコヤナギの綿花穂、市の渡沢の小川の流れる音、そしてフキノトウを採取したり、鏡山は残雪の春山を楽しめ、いいトレーニングにもなった怪我後の初歩きでした.<帰宅後痛みだした胸は翌日午後にはおさまりました.えっさえっさと、山登りできる時期まで、しばらくは近郊の山巡りです.>
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↓   八雲層相当の砂質・泥質頁岩の深い浸食谷.スカイラインにスギ植林地が見える.谷は深く尾根は幅広い幼年地形.写真のように谷壁は急斜面であっても、里に近い森林は家庭用燃料に繰り返し利用される幼齢の雑木林になっていた.


↓   カラマツとトドマツの混交した植林地.植えたカラマツが失敗し、その後トドマツに植え替えられた来歴を持つ林と思われた.



↓   枝打ちが三回(一回に枝打ちされる長さを2mとすると三回で6m)ほど繰り返された集約的管理のスギ林.市の渡沢の植林地のおおくはスギが選択されていた.

↓   広い尾根(高位段丘と見紛う尾根)の上に林道は作られていた.左側が深い谷間になる.砂質・泥質岩の八雲層相当の谷は浸食された深いが尾根は緩やかな幼年地形.

↓   鏡餅状の山頂緩斜面は無立木地だった.アキグミの大株.明褐色部は樹皮が剥がされ露わになった木部.ウサギの食痕であった.


↓   太い枝がウサギに食害された様子.食害された枝の形を写したような模様が雪上に描かれていた.樹皮が落ちた模様であった.樹皮は捨てられ、樹皮内側にある木部(形成層がある維管束部)を食べていることが分かる.「ノウサギの越冬時の餌は木の皮だ」は間違いである.けっして樹皮を食べてはいない.形成層を含む木質部を食べたいるのである.


↓   写真は頂直下の疎林で見たエゾライチョウの「溜め糞」.ダケカンバの果穂と見紛う.それに極似の黄褐色、円柱形、大きさだった.
◆現場の印象 1ダケカンバの果穂がため糞のように集まった現象を見たことない 2融雪時の水分程度で同果穂はフニャラと柔らかくならない
持ち帰り乾燥させてルーペで観察した 1全体は白黄褐色の植物繊維に固められ中に赤褐色の芽鱗が混在していた 2表面の一部に野鳥の糞に特有の白い粘着物質が付着していた 3果穂であれば「果軸、芽鱗、苞鱗、種子」が規則的に配列しているが芽鱗と見た物の配列は不規則だった
文献で当たった結果 1エゾライチョウのため糞 2北海道土着の山鳥といえばエゾライチョウ(キジの仲間)3細長く黄色がかった茶褐色の糞(糞は鶏のものと似ている) 4かってはフィルドにおいて普通に観察されたが最近はあまり見られなくなった 5ノウサギなどと同じく地上ではブッシュ等に潜んでいて「そのときまとまった糞」をするらしい 6最近は見れるのは稀になったがエゾライチョウのためふんをたまに見ることがある(「野生動物の痕跡を読む」)

↓    広々として鏡餅状の鏡山山頂:遠くに桂岳、不二山、袴腰山.




↓   三角点の上に立って.遠くは濃霧で大展望は期待外れだった。しかし無風で静かな頂に満足したメンバー.