2012年5月13日日曜日

幌内岳

  昨日下見となった幌内岳(地元通称二つ山)へ、昨日と同じメンバーsakag・sho両氏と、厚沢部町の当路地区にある当路林道を経由してホロナイ川に下り、作業道や歩道にのって痩せた北稜を目当てにして登った。僕は1989年の残雪期に「森林観察会」のメンバーを引き連れて登っている。同行の両氏は「一山ゲット」の初登頂であった。
  ブナの柔らかな色合いにこちらの身体も染まるような心地する山肌は「山笑う」季節である。北陵は、激しく伐採されたとはいえ、元禄時代のころから資源保護政策が続けられたヒバ林域の核心部にある。短かな尾根であったがヒバの尾根を歩く心地よさもおおいに堪能できた。
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幌内川林道~右股の作業道~南稜に沿う歩道から幌内岳へのルート

二つ山とも呼ばれる幌内岳(当路地からの展望)
目を凝らすと山肌を黒くしているヒバ林、緑のブナ林


山麓のヒバ林:柔らかな色合いはブナ


点名:幌内の基準点


農耕地が広がる館盆地、手前の丘陵地に館城趾(頂から)が見えた
茂刈山から八幡岳そして沼の沢~館城址への古道を訪ねてみたい


身体も染まりそうになるブナ林の季節だ
(年を加えるごとに美しさが増すのはなぜ?)


ヒバ林が立地する基岩は基本的には古生代松前層群
(古くは日高古生層と呼んだ)


切り土から崩落した岩礫:チャートも含むものもあり、多くは砂岩・スレート混じる
礫岩が多かった。林道・作業道はほとんどこの礫でひきつめられていた。僕の装
備は地下足袋だったので、林道や作業道の歩行は、足裏への衝撃は辛かった。
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当路林道は雑木林主の町有林で、奥はヒバ林を抱えた国有林になっている。その境界近くの町有林でトドマツを伐採している現場に出合った。トドマツーヒバ(下層はヒバ、上木はトドマツ)の複層林で、受光調整のための上木を伐採しているようである。
かなり懐かしい案内板(写真)に遭遇した。表示板の「太陽の強さを制御させる云々・・」の記述は、当時の情熱、森林管理技術への確信などを思い出させた。少々面映ゆい気分が我が心をよぎった。「オー元気で居て良かったな~」感慨深かった。標識に記述した指示内容にほぼ従った受光伐は、現代の次々と心が・関心が移りゆく人々を、また忘れやすい人々を、この標識は「試験研究した」人の思いを引き継いでくれたのだと思った。頑張れ標識よ、下層のヒバ達よ・・・である。

移り行く人々へ試験地設定時の思いを今に引き継いだ表示板


試験設定時の設計にしたがって受光調整の施業が展開されていた

◆標識の読み取り◆
◇トドマッーヒパ複贈林展示林◇ 当路町有林8-56林小班1.11ha

ヒバが自生する厚沢部町は、ヒバの森の拡大を願いヒバ植林の技術の定着のために、ここに展示林を設定した。
ヒパの椎樹時代は強い光を嫌い、樹下でゆっくり育つ樹種特性がある。
幼樹時代になると、全天の光を利用して、どんどん成長をはじめる。
このため、上木のトドマツに太陽の強さを制御させる「ヒバの樹下植栽」の方法を試みている。

・植栽1994年6月7日
  本数 2,000本/ha 苗間隔1.25m
  苗木 下北産6年生苗1,720本
  土橋産挿し木苗3年生苗500本
・上木1940年植林のトドマツ
  抜き伐1994年(伐採率40%)
・今後の施業
  ヒバの樹高0.6m時こ上木を250本/ha残して伐採。
  ヒバの樹高2.0m時に上木を全部伐採。

1994年11月森の中の街 厚沢部町
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タカラダニ?アカダニ???分かる方へ「教えてください」

2012年5月12日土曜日

枝垂桜(大野法亀寺)

2012年5月12日(土曜日)
. 朝5時に函館を発って、Sakag・SHO両氏と厚沢部町当路の山に出かけた。函館の空模様は海霧があっが西から天気は快方に向かうだろうと考えて峠に向かった。中山峠を越すと低温の気団の仕業であろう黒雲が、そこここに低く垂れていた。

. 厚沢部川を離れ当路林道に入った。伐採作業中の町有林を過ぎて間もなく、防火帯が明瞭な国有林へ入った。ポロナイ川へ下りる前に落石があって、車はここまでで、林道を沢沿いまで下りることはできなかった。
. 林道沿いの町有林で伐採していた場所は、厚沢部町に出向した時に、複層林造成と称して、下北半島の苗畑から実生から育てた苗木を購入し、トドマツ植林地の下層に樹下植栽したものだった。上木のトドマツがいらなくなって伐採しているもようであった。懐かしい風景・そして場所に出合ったものだ。
. さらに懐かしい思い出は、今日のお目当ての幌内山は、1992年3月22日に雪上を登った。その時は頂の西方コナサイ側から登頂している。今回試みるのは頂の北東ポロナイ川側から登頂を試みることになっていた。楽しみのひとつは「20年の経過後、ヒバ林域の展望の変容は如何に(!)」であった。

. 明日の好天に期待をつないで、また出直すことにした。SHO氏は明日8時半まで用件があり、Sakag氏と僕は明日の仕事を今日中に片づけて、明日朝8時30分にまた集合してリベンジ登山、幌内山に登ることにした。

. 桧山地方のヒバ林は、八幡岳と瓜谷山の間の窪み状の低山にある。その窪みの真ん中にある幌内山からのヒバ林の展望は、NHKのM・Yディレクターへ知らせる情報になる。明日になった幌内山はそのテーマもある(さわやか自然百景)。

. 帰路幾つかの林道状況を確認した後、大野に詳しいSakag氏の案内を頂いて下記の「枝垂桜」と大野川沿いの「土手の桜並木」は思いがけない見分ができてうれしいみやげとなった。
枝垂桜は太く、広い樹冠で立派な姿で立っていた。推定樹齢は300年と案内されているが、勢いは樹幹もどの枝も、まだまだ生活力にあふれていた。

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<法亀寺のしだれ桜と小山内龍>
法亀寺は日蓮宗実行寺の末寺である。1849年(嘉永2)大野村東下町に法亀庵として建てられ、そ後法亀寺に改称し、1889年(明治22)現在地に移転した。
境内にある一本のしだれ桜は推定樹齢300年で高さは12mくらい。垂れ下がった枝いっぱいに花が咲く。これほど見事な桜は珍しいという。
また、小山内龍(本名深田鉄三郎)は函館に生まれ東京で漫画家、絵本作家として活躍した。「昆虫放談」は名作である。1945年(昭和20年)戦災に遭い本町に疎開し翌年なくなった。小山内龍は法亀寺に眠っている。
法亀庵建立に尽力した中村金兵衛や大野小学学校長田中幸次郎の墓、果樹王と呼ばれた岡山峰吉の碑などがある。                         平成11年10月大野町教育委員会

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<岡山峰吉の碑>
碑文は「岡山峯吉君は理想に近き実業家なり、君を失いしは大野村の一大損失にしてヽその誇りとする青年の指導者を失いしなリ」の一節から始まる.
明治末期から大正中期にかけて、村民から『果樹王」と呼
ぱれた岡山峰吉は、明治四年(1871)、茨城県河内郡太田で生まれた.同三十一年七月、長沼を経て、単身大野へ移住している.峰吉の果樹園はかつて山田政人が果樹園を試みた地で、苗床十町歩、果樹園十町歩を経営し、リんご、なしヽ桜桃、ぷどうを栽培、年産額一万円の収穫を得るまでに成功したことか碑文に記されている.
その努力と大成功に村民から敬愛されたか、大正九年(一九二〇)三月、数え年五十の春に他界した.石碑は同年六月、峰吉の妻・蘭によって向野の道路沿いに建てられ、後に法亀寺に移された.碑文を書いた伊藤松太郎は函館の教会の牧師で、峰吉は熱心なクリスチャンでもあった。
短命で後継者のない、はなない果樹王であったが、法亀寺の墓に刻まれた遺言と思われる「我は復活也生命なリ」と、う句から、世俗を達観した人であった。   
平成十八年三月 北斗市教育委員会
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オホーツクではたしかな雪
1~2か月戻る寒さが覆う北海道
函館は最低6℃最高12℃
寒い風が吹いている
青空がのぞいたり 黒雲の塊が流れたり
寒い気団のなせる空模様
オーシャン球場で斎藤が投げている
2回表で9失点 失策も手伝っている
試合に作り上げる力が試される
淡白では 認められない
目的意識的にはここでも・・・

2012年5月9日水曜日

庭にブナが芽生え

    三年前に、38年生の庭のブナが少しばかり開花結実した。自然林では50年といわれているから、庭のブナは孤立樹だから結実樹齢が早いのか、庭という粗末な環境が効いたのか分からないが、思いのほかだったので、鉢植えしたりしてうれしかったことを覚えている。

  一昨年は不実だったが、昨年は北西側の多くの枝に開花結実を見た。庭のブナもいよいよ青年期に入ったかと思ったものだった。

  今朝がた庭を歩いて、はからずもブナの芽生えに気がついた。昨秋結実したブナの実が芽生えたのだ。不覚にも双葉のステージを超えて、もう本葉が出ていたから稚樹にはチョット気まずい気分が我が胸を横切った。落下した果実は放りっぱなしで、芽生えを期待して果実の所在を特段記憶に留めるでもなく、何事も目的意識的でない我が過ごし方にもである。
周囲に5本ほど確認できた。意識的に管理したならば、今春は我が庭に足の踏み場もないほどブナは芽生えたであろう。

2012年5月8日火曜日

香雪園

.  我家から香雪園を往復した。8kmを2時間かけた。日吉町から滝沢町へ貫けるトンネル工事中の文教通(ラサール高校~函館大学)を経由した。昨日より日差しがあり風も穏やかだったからチョット汗ばんだ。<最高気温昨日16.4、今日19.1℃>


↓   空洞の樹幹  さくらは満開の時期だった。緑のセンター前で休憩した。目の前にかなり傷んだサクラが立っていた。空洞の状態を上から首を突っ込んでのぞいてみた。下から上までを貫いて、しっかりカステラ状に、褐色を呈して腐朽していた。腐朽の進み具合は太さの90%程度でもあった。なかなか管理がたいへんなようで、化学的、物理的な治療が施されていた。

 ↓    見晴らし公園内の香雪園は、素封家岩船家の別荘として使われてきた来歴がある。昭和2年から市民に開放されているが、平成13年に「名称」(北海道唯一の国指定文化財庭園)の指定を受けてから、管理はそれに沿うようになったという。スギの庭園は苔の林床に管理され(1)、排水の側溝は樋状の木製で作られ(2)、排水の行先は湿性の植生域(3)として管理されていた。


↓1  苔の林床(スギ庭園)

 ↓2  樋状の木製側溝(工事中)

 ↓3  樋の先に湿性植物
ネコノメソウChrysosplenium grayanum 葉は対生で雄しべが4個が特徴。
多くのネコノメソウはおしべ8個。
対生種はネkノメソウ、マルバネコノメソウ、チシマネコノメソウ。

2012年5月7日月曜日

サクラ(五稜郭公園)

.  函館海洋気象台ホームページをみると「サクラの開花」を観測したと広報されていた。平年並みの観測日の5月2日だった。観測場所は五稜郭公園で、気象台が定めた木(標本木)で観測されたものだ。

.  開花の広報があって以降、4日~5日にかけて北アルプスで吹雪による山岳遭難、つくば市に凄い竜巻被害があったり、その寒気団が今も東~北日本を覆っている。その分さくら散る期日は遅れているようだ。松陰町桜ケ丘通りから五稜郭公園を巡って、我が家から往復した。万歩計は1万五千歩だった。

.  昔日、桜ケ丘通り奥の義姉の家をよく訪ねていたころは、サクラが満開の時期であっても近隣の住人が往来するだけで、人通りは普段とそう変わったものではなかった。今日訪ねて車、人の往来の多さにあらためて感心した。たしか私の記憶では、函館在住写真家野呂希一氏がさくらの写真集を発刊してから、人々の評価が始まったと思う。

.  五稜郭公園も桜ケ丘通りと同様に、まだ花は散ることなく満開の樹冠が堀端に続いていた。寒気団が居坐ることは、桜ファンにはうれしいということであろうか(?)。

. 写真↓ 桜ケ丘通:樹幹はごつごつしていて古木然とした姿であった。今後10年、我が行き方と照らしてこの桜並木もどんな姿でいるであろうかと!

写真↓ 五稜郭公園のお堀端は、ジョグコースを兼ねている。近隣の高校生運動部員が走っている。少女も負けじと走っている様はほほえましい。

2012年5月6日日曜日

511.8峰(点名:寅沢)

  山登り再開である。胸の筋肉がニカワの如くバリバリしていたが、今日の山登りの後、胸回りが晴れ晴れと軽快になった。藪を漕いで、胸回りの稼働域をおおいに広げたからだと思われる。完治2~3か月の宣告だったが、寅沢に登った今日は、骨折後二ヶ月目にあたり、ひとまず完治したことを自らに宣告することにしようと思う。

落葉広葉樹林は新緑の展開前で、林内はまだ見通しが良く、沢は音を立てて流れ、夏鳥が囀り、林床の春植物を目にしながら膝ほどのササ藪を心地よく歩けた。ブナの新緑がチョロチョロと、ベニヤマザクラも咲き始めた。今春は他地域で大凶作の下りへのコブシの花だが、寅沢に花着きの良い個体を発見できた。今日はまことに気持ちのいい山歩きになった。
Sakag氏のHPを頼りに山に向かった。ルートはほぼ彼の歩いたコースにしたがった。SHO氏同行。
車止めは壊れた橋梁前。渡渉は林道が寅沢の右岸に移る(河床路)手前になる

寅の沢林道通行止ゲート:壊れた橋梁前。ここから取り付きま尾根まで林道
を歩いた


林道から下りて、取り付き尾根への渡渉地点:昨日までの雨でかなり増水し
ていた

ミズナラの根元にヒメカンスゲの花:渡渉してすぐの尾根への取り付きにて。
奥に斜面のササの薄さが見て取れる

季節は移る:林は明るいが、林床の早春のステージはもう第二のステージへ
移っていた(オオバキスミレ)

頂きに近くなると岩尾根が現れる:スゲ類に覆われていたと思われる林床は、
裸同然になっていた。シカがかなりの密度で冬を越した個所か?

ルート上にシカの足痕が目に付いた:写真はトチノキの樹幹の周りがしっかり
食べられた痕で、形成層がぐるりと失われていたから、立ち枯れは間違いな
いであろう。

林床は裸:岩尾根とは言えこれほどの裸地はシカの生活跡としか思えない

右上が三角点「寅沢」:頂の北側は急な崖、南側はブナの急斜面になってい
た。


三森山は松倉川の向こう(東側)に立つ。周囲の山々は岩峰らしき峰々が目
についた

三角点「寅沢」:東西に伸びる峰の東側の方に寄った場所に設置されていた。
⇒  三角点の周囲の植生:ツツジ型のブナ林のメモ
<H1=ブナ4、ミズナラ3、エゾヤマザクラ2、アブラホ2。H2=ハウチハカエデ3、サワシバ3、アオダモ2、ドロノキ2、ナナカマド2。S=クマイザサ3、ヤマツツジ3、ミヤマガマズミ2、ノリウツギ2、コメツツジ1。>

2012年5月2日水曜日

カタクリ咲く散歩コース

季節は確かに進みます。松前町は1日咲きました。前日今季初の夏日を観測した札幌で1日ソメイヨシノの開花が宣言(札幌管区気象台構内標本木《ソメイヨシノ》)されました。4年ぶりに函館市より早い開花でした。

この季節の楽しみは、早朝ウォークコースに咲くカタクリを発見することです。肋骨三本骨折のへまをやらかした身体でしたけれど、今年も雑木林の林床は早春の花たちが変わらず咲いてくれました。コースにヒメニラが自生していることにも初めて気づきました。

閉塞的な資本主義、機能しない民主主義、弊害が目立つ技術など不安な時代に代わるものを見つけられるのでしょうか。私たちは「誰かが使えばいい」といいながら森林の手入れをする古老の話ではありませんが、次代を生きる者たちの幸せを希求して生きる社会を、物や金ではない価値観を求めていけるでしょうか。