2012年8月11日土曜日

袴腰岳(沢)

2012年8月11日(土曜日)
 「袴腰岳は毎月1度登る」ことを年の初めに誓う。計画どおり実行したのは4年前の一度だけだ。三日坊主と言っていい。何だかんだと計画どおりにいかない年が多かった。袴腰岳は身近ではあるけれど1月~12月まで魅力多い山である。沢からの袴腰岳は、山友のsakag・sho氏らが既にやっていた。何時かは僕も沢からと願っていたが、一人ではなかなか踏み切れないでいた。幸いsho氏から誘いあってsuga氏と三人で出かけることになった。

 赤川林道の災害復旧工事も完了し、通行止めが解除されていた。入渓地点はCo620で、sakag氏入渓地点と同じだ。雲は低いが、後半好天になる予報だった。

 源流を詰める通常ルートは、F3の二股を左に入り、烏帽子岳と袴腰岳の鞍部(通称「憩いの森」)の夏道に抜けることになる。「同じ山を違う沢から、しかも情報のない沢から登るって、本当に楽しいもの」ということで、F3の二股を右に入って袴腰岳の北ピークの岩場をひそかに狙っていた。結果は、Co1040の夏道へ、短縮ルートを選んだ。

 北ピークの岩場狙いは、最後は急斜面だからササは薄くなり、寝たササも無くなり、少々灌木は煩いだろうが、濃厚なササ藪と違って、鬱陶しい藪漕ぎは無いだろうと予想していた。実際はどうであったであろうか。





入渓間もなく「深層崩壊」の土石が谷を埋めていた。風化が進んだ粘土の塊や凝灰岩が累々と重なっていた。
  「深層崩壊」の切断面(頭)の様子。八雲層相当の凝灰質岩石の堆積物のように見えた。深層まで粘土化している様子がわかった。全体は黄褐色っぽいが、緑色も淡く感じられて。
先達らはF1と呼んだ滝で、直登はちょっと無理。ハーケンも効かないだろう滝だった。右の草付きを高巻きした。
同F2。ここもまだ集塊岩・凝灰岩などの堆積物の領域だろう。凝灰岩と集塊岩をスパイク地下足袋の底に感じながら、なんなく中央突破。
先達らが命名のF3の滝に到達した。凝灰岩の領域はこの滝までで、地質図では、ここから上が横津岳溶岩域になっている。
(右F3)二股を右へ入る滝だ。地層の傾斜と斜面の傾斜が同方向の場合を「流れ盤」と言う。まさにここの滝は凝灰質岩の流れ盤になっていた。こんな所は足がかりが安定しない。おまけにスパイク地下足袋の僕は、倒木を利用しながら左から這い上がった。バランス感覚の優れたsug氏は、流れ盤の滝を中央突破した。彼は流石であった。
(右F4)まだ凝灰岩の領域にある。
小滝がいくつか続いて流れ水も終わりかと思いながら藪状の沢を進むと、ミニミニゴルジュが出てきて藪沢から解放されていい気分になった。コメツツジが迫る岩と相まっていい雰囲気だ。
最終水場を過ぎて、涸沢を選択しながら進む、いよいよ藪漕ぎ40分。結構な藪漕ぎだったから夏道に出たときは達成感も大きかった。
 某氏の慰霊碑だが プレートが落ちて無くなっていた。
 山頂は濃霧の中。びしょびしょの下着を替えたり、山頂ラーメンをsug氏に作ってもらったり、いつも頂は楽しい時だ。
 三角山に豪勢な案内板。誤字脱字が目立った。標高が883mと書いていたが、地形図の独立標高点は889mだ。
  森林地帯に、びっくりするほど立派な道しるべ。
  第二登山口 しっかりした標識。
  第一登山口  利用者が少ないと見えて草に覆われていた。室蘭からの登山者が「第一登山口は閉鎖されていた」と山頂で話していた。登山口閉鎖と勘違いさせるほど草が生えていた。