2014年8月2日土曜日

大和橋の沢から628峰(奥三角山)へ

 今春は、大野川流域右岸領域(毛無山~設計山)へ、行方不明者事件捜索要員としてほぼ一カ月の間入山できました。その間、積雪の中にあって、暖候期の遡行をそそられた沢は、中山橋の沢から設計山と、大和橋の沢からP928峰(通称:奥三角山)の二つがありました。

 8月2日(土曜日)Sakag氏のとSho氏らと、その一つの大和橋の沢を奥三角山(P928峰)まで遡行することになりました(下図)。

 大和橋の沢の遡行は、一つには古期岩類(上磯層群)と中新世後期の堆積岩(八雲層)が接する大断層の路頭を踏みながら遡行できること。
二つには旧大野町を北に出ない「サワグルミ」が、この遡行中の沢に自生しているか否かをチェックできること。この地質と森林植生巡検への期待があっておおいに楽しみなことでした。



大和橋から標高375m二股分岐を右へ南下する沢沿いはV字谷・急斜面・直線状の沢模様であって、大和橋の沢から596峰、628峰方向の東側の等高線模様は、それと全く違って見えます。地質構造の現れでしょうか。

 なお、遡行図の沢の詰めは、図のように628峰南方の鞍部へ早めに上がった方が、ササ深くなく安定して登ることができて正解でした。628峰を踏んだ後の帰路に、最短ルートを選択し計曲線550mの突出部の凹部を下り、主曲線520mの沢で往路と合流しました。しかし大型草本と灌木・ツルが絡み合い、沢筋は岩礫に足を取られひっくり返ったりで難儀しました。

 やはり往路を忠実に辿るべきでした。教訓:特段の理由があれば別だが「往路に忠実に従って復路とすべき」でした。山歩きの掟!「谷に降りるな」、「迷ったら引き返せ」と同等の山歩きの教訓として心に叩きこみなした。



国道227号沿いに立つバス停「大和橋」この下が入渓地点になります。この停留所に降りる乗客は、まずいないであろうが、どうしてここに停留所があるのか・・・。機会あれば道南バスに聞いたりして知っておきたいと思いました。
バス停直下の大野川、奥に分岐する大和橋の沢が見えます。大野川は圧倒的に安山岩類の転石が多いけれど、大和橋の沢に入ると、古期岩類の粘板岩や砂岩も混じっていました。
大和橋の沢の左岸は古期岩類と思われ、F1下には脆く石炭色に変質した粘板岩の路頭が見られました。
F1の上部の河床には、白色の線状模様を描く古期岩類の砂岩のたぐいであろうか。
左岸は古期岩類の領域です。直線状沢模様と急斜面が特徴的地形として認められました。左岸の急斜面には、案の定、大規模な雪崩斜面特有の「ヒメヤシャブシ・タニウツギ群落」がブナ林に囲まれて発達していました。
標高375m二股を左に進むと:鮮新世の頁岩が現れ、上磯層群の領域を離れ、頁岩等の中新世後期の八雲層の領域に入ったことを知らせてくれました。
標高をあげるに従い、河床の岩模様は、頁岩類から礫質凝灰岩の類に変化してきました。
F2は、礫質凝灰岩でした。
時には凝灰岩域に頁岩が現れます。
上流域は、ほとんど礫質凝灰岩でした。海底火山の領域なのであろうか。



628峰(仮称:奥三角山)頂上から、三角山(605m)方向が開けて展望できました。積雪期の行方不明者捜索で歩いたルートが懐かしく思い出され、つい目でそのルートを追いかけていることに気づきました。
同上の尾根上の原生的ブナ林です。
遡行中注意していた「サワグルミ」の自生は確認できませんでした。

やはり、捜索時に発見した、中山橋の沢から設計山方向の二股洪涵地に立地していた「サワグルミ」が大野川流域唯一の自生地だったのであろうか?

積雪期の捜索時に中山橋の沢中流域で遭遇した「サワグルミ林」は、毛無山から設計山に至る広大な大野川流域斜面で、そのサワグルミの自生は、中山橋の沢の其処だけだったと思われます。
無いことを証明するのは難しいから、もっと詳細な探索は求められますが・・・。